『武士道シックスティーン』
『武士道セブンティーン』
『武士道エイティーン』
『武士道ジェネレーション』
〔いずれも、誉田(ほんだ)哲也著、文春文庫〕
を読みました。
青春を剣道にかける女子高校生二人の傑作エンターテインメントです。
青春小説という純粋で爽やかなものに触れて心が洗われるのはもちろんですが、このシリーズには、それにとどまらない、骨太なものがあります。
それは、書名にある通り、「武士道」です。
<以下、ネタバレを含みます>
主人公が、師匠や部活動の顧問、親と語り合いながら、武士道の何たるかを学んでいきます。
「武者」の生業(なりわい)は、戦うこと、すなわち、相手を斬ることであった。
では、「武士」の生業は何か。
それは、戦うことではなく、戦いを収めることである。
武士道は、相手を斬ることではなく、相手の戦闘能力を奪い、戦いを収めることを終着点とする。
この部分を読んで、私は、心臓がドキッとしました。
この「ドキッ」は、私が、自分のことを言われていると感じた時の衝撃を表します。
そして、この「武士道シリーズ」は、初めは、青春小説として、作中人物の魅力に引き込まれて夢中で読んでいましたから、突然、自分のことだと思い到った時の衝撃は大きうございました。油断していたのですね。
弁護士の仕事は、相手方を傷付けるためにあるのではない。
争いを収めることこそが、弁護士の仕事の本義である。
さらに、主人公は言います。
「人が何かを守ろうとするとき、必要となるのは、やっぱり力なんだ、それも、相手とどっこいどっこいじゃ駄目なんだ。相手より圧倒的に強くて、でも暴走しない、冷静な力がないと、守りたいものも守れないんだ。」
私も、相手方を斬らずして、その戦闘能力を奪い、争いを収めることができるような、圧倒的な強さを身に付けるべく、稽古に励みます。