「高野聖」(泉鏡花)を読みました。
古書店で、「ちくま日本文学」(文庫)の『泉鏡花』を見付けました。
以前から気になっていた「高野聖」が含まれていることを確認して、購入。
取るものも取りあえず、「高野聖」を読み始めました。
冒頭、少し違和感があり、何かと思えば、文章が長い。
通常、1文は、3行でも長いと思うのに、5行に及んだり、7行に亘ったりしています。
ところが、読むのにそれほど苦痛でない。
なんでやろなと思いながら、初めの10頁ほど読んだあたりで、「これは、リズムが相当良いんだ。」と気付きました。
そして、何の気なしに、ぼそぼそと音読を始めました。
すると、さらにリズムが高まって、読み易さが増したのです。
内容もちゃんと入ってきて、ゾクッとする怖さも味わえました。
新しい楽しみ方を発見したようで、気分が良くなりました。
その数日後、自分の本棚を眺めていて、以前に買っていた「ちくま 文学の森」(文庫版)シリーズの10巻『とっておきの話』に「にごりえ」(樋口一葉)が含まれていることに気付きました。
「にごりえ」は、他の文庫で、3回ほど中途で挫折して読み切れていないものです。
もう一度挑戦してみたいと思っていたので、取り出して、読み始めました。
読み始めて、以前に何度も挫折した理由を思い出しました。
1文が長いのです。
「にごりえ」の第1文は、28行続きます。3頁まるまる1文という箇所もあります。
ああ、そうやった。長いねんな、1文が。
と思いながら読んでいたら、どこかで味わったような感覚が。
そう、「高野聖」です。
そや!「にごりえ」も音読してみたらどうやろ?
もう、大当たりでした。
音読してみたら、句点いくつかで、意味やリズムは区切りがついていることに気付きました。
そうなれば、しんどくありません。
結局、そのまま読破!
挫折を繰り返した作品を読み切れたことで、達成感がありました。
「高野聖」と「にごりえ」に共通するのは、作者が明治生まれの文豪であること
泉 鏡花 1873年(明治6年)生まれ
樋口一葉 1872年(明治5年)生まれ
文体は、文語とまではいかないけれども、古文の文法知識があれば役に立ちます。
そして、大正、昭和、平成と下るにしたがって乱れてしまった日本語が、まだ正しい状態で、そこにあります。
そんな文章も、音読すれば読める。
否、そんな文章だからこそ、音読することで味わえる。
楽しみが増えました。