それは、本が好きだからです。
好きに理由は要らない、とは思いながら、なぜ本を読むのか、改めて考えてみました。
私は、美しい文章に触れたくて本を読んでいます。
「美しい文章」と言っても主観的で多義的ですが、ここでは、
<文法に誤りがなく、用語が適切で豊かなもの>
と定義します。
私の仕事は、言葉で人を説得する仕事です。
もちろん、口頭で説得したり、交渉したりすることもありますが、究極は、書面化した文章で主張し、思いを伝えます。
そのため、仕事でたくさんの文章を読みます。
・裁判所の判決文
・専門書、解説書
・代理人の主張書面
・当事者の陳述書、手記、日記に至るまでさまざまです。
法律関係の文章は、文法に誤りがなく、適切な法律用語が使われ、論理的でなければなりません。
これらがすべて満たされていれば、法律関係の文章としては美しいのですが、そこでは、修辞的で豊かな表現は用いられません。
このような、修辞性を排した論理的な文章ばかりを読んでいると、そのうち、イィーっとなってきます。
きれいな文章が読みたい!
もう、矢も楯もたまらず、書店に走ります。
5年ほど前、どんな本を読めばいいかよく分からなかった頃には、
とりあえず古典やろ、文語やろ!と、
『方丈記』や
『平家物語』を買ったこともあります。
中島敦著『山月記』や
森鷗外著『舞姫』は、再読、三読どころでは済みません。
その後、現代の作家さんの小説やエッセイで美しいものも選べるようになって、読書の幅が広がりました。
私が、電車の中や、トイレの中はもちろん、ランチを注文して料理が出てくるまでや、横断歩道の信号待ちでも本を読んでいるのは、美しい文章に触れるためです。
気分を一新して、また仕事に励みます。