たまたま読んでいた複数の本で、作者が、異口同音に「家制度」を評価していたことから、最近、家制度に興味を持っています。
まず、佐野洋子さん。
大ベストセラー絵本『100万回生きたねこ』の作者ですね。
この方のエッセイ
『問題があります』(ちくま文庫)
を読みました。
絵本作家=メルヘンでキラキラしたエッセイかと思いきや、ネガティブなオーラが満載でした(笑)。
でも、
・ネガティブな時に無理にポジティブを装わなくていいんだよ
・人生綺麗事だけじゃ済まないよね
と語りかけられているようで、肩の力が抜けます。
ついでに、トイレでのおバカネタなどで、体全体の力が抜けます。
その中で、「家制度」を評価する部分があります。
「こんな事言ったら袋だたきになると思うが、何でも平等というものは、いかがなものだろうと思う。
もし、父の時代、貧乏百姓が女も含めて十一人で、あの田畑を十一個に分けたらどうなったであろうか。
長男は嫌でも家業をつぐものであったから、権利と同時に覚悟もしていたであろう。又長男の責任というものも持たざるを得なかったと思う。
ごろごろ居るその他の男は、子どもの時から自分で身を立てる事を考えなくてはならないというのも悪くはないだろう。」(47頁)
私、司法試験の勉強で、「個の尊重」(憲法13条)、「法の下の平等」(同14条)は揺るぎない価値だと思い込んでいました。
そして、知らず知らずのうちに、
・戦前=封建的=悪
・戦後=民主的=善
というイメージで頭が固まっていたのだと思います。
そんな私が、初めて触れた、戦前の「家制度」のプラス評価でした。
ほう、なるほど、思い切ったことを言うね。と思っていたら、もう一人出会いました。
内田樹(たつる)さんです。
これまでに、
『子どもは判ってくれない』(文春文庫)
『下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち』(講談社文庫)
と読んできて、多数派におもねらない痛快な分析のファンになっていました。
そして、古本屋さんでたまたま手に取ったのが、
『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(角川文庫)
です。
これは、単に「頑張らなくていいんだよ」と慰めてくれる類いの本ではありません。
幸福度が低くて、働くことに疲れていて、近親者に暴力を振るい、子どもを虐待死させる。そんな世の中を分析し、根っこにある原因を探り、どうすればいいかを考える。そういう本です。
その中で、やはり、「家制度」を評価する部分がありました。
<以下、ネタバレを含みます>
「昔の『家』中心の家族は、愛情なんてあってもなくても、とにかく共同体を形成していることが一人一人が生き延びるために必要だったわけです。愛情ではなく、社会契約の上に立脚していたのです。でも、この社会契約によってがんじがらめになった家族が一人一人にとって、それほど抑圧的なものであったかというと、なかなかそうも言い切れないと思うのです。」(237頁)
佐野洋子さん、1938年、北京生まれ。
内田樹さん、1950年、東京生まれ。
ご自身に戦前の記憶があるかどうかは、違いがありますが、旧民法の家父長制(家制度)を経験した親族の中で育ったという点は、お二人に共通しています。
私、「家制度」について、まだ自分の意見を述べられるまでには至っていませんが、これでアンテナが立ちましたので、今後、情報を集めて思索を深めようと思います。