『輝く夜』(百田尚樹著、講談社文庫)
を読みました。
ある方から薦められたのがきっかけでした。
その推薦文(ショートメール)が、振るってました。
「作者自体は感じ悪~ですが、小説は良いと思います。」
私は、あまり新聞も読みませんし、ネットニュースも見ませんが、最近の著者が「感じ悪~」い言動をしていることは知っていました。
そんなこともあって、『永遠の0』(講談社文庫)以来、著者の本には手を付けていませんでした。
でも、先手を打って、こういう推薦をされると、
「え~っ、あの感じ悪い人ですよね~?」
という反論をする必要がなくなります。
そして、薦めてくれた方が、私の大好きな方でしたから、
「こりゃ、いっぺん読んでみよ。」と、素直に購入。
すぐに読み切りました。
読後感はAプラス。
5編の短編集なのですが、著者の顔がチラついて邪魔なのも第1編の途中くらいまでで、以降は、聖夜の奇跡に浸って、十分に楽しめました。
そして、私が、自身を省みたのが、作品を離れた作者の性質と、作品の評価との関係です。
私は、作品を離れた作者の性質に、影響され易い。
たとえば、
『舞姫』は大好きで、再読三読している数少ない小説なのですが、
森鴎外が、陸軍軍医の時に、白米至上主義に拘った結果、たくさんの脚気による死者を出した、というエピソードを聞いてからは、一度も読んでいない、とか。
『小さき者へ』を読んで感動し、「白樺派は基本的に好きやないけど、有島武郎は別」とか、知ったげに言ってたのに、
有島武郎が、小さい子ども達を遺して、彼女と心中しちゃったというエピソードを聞いて、幻滅したり。
そんなでしたから、
「作者自体は感じ悪~ですが、小説は良い」
というこの方の姿勢に、ハッとさせられた次第。
そうですよね。
小説家が全員、聖人君子な訳はなく。
作品を離れて、そんなことまで求めてたら、読める本なくなっちゃいますよね。
「作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあった。」
なんて言ってたら、太宰治に刺されかねません(笑)
そう言えば、私のイチ推しの浅田次郎さんなんかは、ギャンブル癖が酷くて大変残念な人ですが(笑)、作品の品格はピカイチで、私の本棚の一番良い場所に君臨し続けています。
著者の性質と、作品の評価とは、分けて捉えないと、良書との出会いを阻害しかねません。
それに気付かせてくれた1冊でした。