長い間、ファンタジーが苦手でした。
『ゲド戦記』も、『ナルニア国物語』も、『指輪物語』も、読まないままに大人になりました。
50歳を過ぎた大の男が、「ファンタジー」でもないよな。
現実とは違う世界で、魔法とか使われても、付いていけないな。
と思っていました。
そんな私が、令和元年頃、読んだのが、
上橋菜穂子著『精霊の守り人(もりびと)』
です。
これが、入り込んだら面白くて、
『闇の守り人』
『夢の守り人』
『虚空の旅人』
『神の守り人』
『蒼路の旅人』
『天と地の守り人』
『流れ行く者』
と、「守り人」シリーズ(すべて、偕成社、新潮文庫)を、正月休みに読破しました。
これが、存命中の作家さんの小説を読み始めるきっかけになりました。
その後、ブックガイドの助けも借りながら、この4年間に、さまざまな本を250冊ほど読んで、こうしてエッセイを書くようになった次第です。
こう書けば、この時にファンタジーに対する壁は取り払われたかのようですが、そうではありません。
この4年間に読んだ中で、ファンタジーに属するものは、唯一、「十二国記」シリーズがあるだけです。
「いったん入り込めば面白いのだけれど、入り込むまでがなぁ」と、二の足を踏んでいる状態は、あまり変わりませんでした。
そんな中で、最近、上橋菜穂子さんのエッセイを読みました。
『物語ること、生きること』(講談社文庫)
正確には、「守り人」シリーズ、「獣の奏者」シリーズを書き終えた上橋さんが、これまでの道のりを振り返る内容のインタビューを受け、それをライターさんがまとめたものです。
<以下、ネタバレを含みます>
歴史上の人物を扱った小説を書こうと調べものをしている時に、上橋さんは悩みます。
「知識と知識を単純につなぎ合わせるだけでは、過去に生きた人たちの、本当の現実には至れない。どこかに必ず、私の想像が入ってしまう。そこで歪んでしまうものと、どう向き合ったらいいのか」(116頁)
ここで、私は、過去に、司馬遼太郎著『竜馬がゆく』で挫折したことを想起しました。さも横で見ていたかのように、実在した人物の日常を描く、という手法に、私は違和感を覚え、読み進められなくなってしまったのです。
以来、国民的作家の国民的小説を受け入れられないことに、私は劣等感を抱いていました。
しかし、私は、上橋さんの抱く悩みが、自分の抱いた違和感と近いように感じ、救われた思いがしました。
そして、結局その小説を執筆することを断念した上橋さんに、書き手の誠実さを感じました。
また、上橋さんは、別の箇所で、
「私の書く物語は『ハイ・ファンタジー(異世界ファンタジー)』と呼ばれています。現実には存在しない世界の話ですから、日常から遠い、夢物語みたいに思われることもありますが、本物のファンタジーは、日常よりもっと深いところで、もっと生々しい実感につながる瞬間があるような気がします」(26頁)
と語ります。
確かに、「守り人」シリーズでは、いったん物語の世界に入り込んでしまえば、その中では、非常に現実味のある人間の真摯さが描かれています。
ちなみに、私が座右の銘として手帳に書き留めている言葉は、「十二国記」シリーズの登場人物のセリフです。
異世界ファンタジーだからこそ描ける現実がある。
ファンタジーに対する壁が、今度こそ取り払われた気がしました。