士(さむらい)の心構え

小説『憑神(つきがみ)』(浅田次郎著、新潮文庫)
を読みました。

浅田次郎さんの小説は、短編集もいくつか読みましたが、長編に忘れられないものがたくさんあります。

『蒼穹の昴』(講談社文庫)
『壬生義士伝』(文春文庫)
『終わらざる夏』(集英社文庫)
『日輪の遺産』(講談社文庫)

特に『蒼穹の昴』『壬生義士伝』は、私の「生涯の10冊」に入っております。

『憑神』の主人公は、幕末のお目見え以下の御家人です。

<表紙裏から抜粋>
文武に秀でながら出世の道をしくじった主人公が、ある夜、小さな祠に神頼みをしてみると、それは貧乏神だった、という時代物コメディー。
翻弄されながらも懸命に生きる主人公の姿が胸を打ちます。

<以下、ネタバレを含みます>

そんな主人公が自分も含めた幕末の武家社会を嘆くくだりで、ドキッとしました。

「武士は堕落している。本来その精神のうちにあるまじき功利と打算が、多くの武士の心を支配している。義なりと信ずれば脇目もふらず、敵味方の衆寡もいとわず、命を投げ出す者こそが武士である。」(150頁)

私、自分で事務所を構えてから13年。
経営のことは常に頭にあります。

けれども、事件ごとに見ると、最初に着手金を頂いた後は、お金(売上)のことは、完全に頭から離れます。

「どうすれば依頼者の望みを叶えることができるか」

それだけに集中して事件に取り組みます。

着手から1年なり2年なりが過ぎて、事件の最終盤、調停条項案も合意に至り、残るは最終回の読み上げだけ、という段階に至って、サッと報酬のことが頭をよぎります(笑)。

仮に、その1年なり2年なりの間も、その事件の報酬のことを頭に置いて事件処理をするようになったら、弁護士は終わりです。

「義なりと信ずれば脇目もふらず」依頼者のために尽くす。
今年も、「士(さむらい)」の心構えで、事件に取り組みます。

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